廃業で収入が増えた酒店と、ネットに負けなかった電器店

今や多くの人たちがネットで買い物をすることに抵抗がなくなりました。欲しいときに欲しいタイミングで商品を買うことができて、配達までしてもらえることが当たり前になっています。Amazonのような大手Eコマース(電子商取引)は、従来の「商圏」という概念を一気にないものにしました。デジタル化で昔ながらの「商圏」が崩れたことも、いわゆる「大廃業時代」到来の理由の一つでしょう。

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地方の電器店はいかにして生き残ったか

地域の家電小売店として約30年営業している秋谷弘嗣さん(62歳、仮名)は、廃業の危機をこれまでなんどか乗り越えてきました。秋谷さんは大手家電メーカーの技術者として勤務した後、稼業の家電小売店の事業を継ぎました。

「創業当時は、近所には家電小売店が6店舗ありました。お互いがお互いの商圏を維持しながら営業していました」と秋谷さんは振り返ります。

最初の危機は、郊外に大きな電器店ができたことでした。「大型家電量販店の進出によって価格競争が激化しました。お客さんの多くは大型店へと流れていっちゃいました。このタイミングでほかにあった地域の家電小売店が2つになってしまいました。みんな廃業したのです」(秋谷さん)。

秋谷さんは大型家電量販店と価格で勝負するのをやめて、地域密着型の電器店として生き残りをかけます。

秋谷さんは徹底したアフターケアと、小回りの利く対応を強みとして生き残りをかけました。”かゆい所に手が届く電器屋”として地域の人に愛されることを目指したのです。仕事の幅は広く、エアコン取付、水漏れ修理、洗濯機や冷蔵庫の取り付け、時には電球交換までに及びました。

秋谷さんに対して大きな脅威だった大型家電量販店は、次第にAmazonのような大手Eコマースに取って代わられます。しかし、秋谷さんの地域密着型の取り組みは、大手Eコマースに対しても有効でした。

「取り付けに不安があるお客様はアフターフォローを必要とするお客様は、ネットで買うのではなくウチに電話してきてくれます」と秋谷さん。さらに、アフターケアや取り付けが簡単なものは、秋谷さんのお店ではまったく売れなくなったのかというと、そうではありません。

「お客様との関係ができていたので、電池1つでも買ってくれるようになっています」と秋谷さんは説明します。

いま、秋谷さんは家電販売以外のもう1つの柱の事業を考えています。「やっぱり家電だけではもうだめです。家電は気軽に買えるようになり、壊れたら捨てるようなものになってしまいました。いま考えているのは、ちょっとしたリフォーム事業です」と秋谷さんはこの先の展望を語ります。

廃業で収入が増えた地元密着型の酒店

東京都内で70年続く酒店を営んできた設楽酒店の設楽太郎さん(75歳、仮名)は、地元密着型の酒店として長らく続けてきた事業を廃業しました。

酒類小売業免許の規制が緩和されたことにより、近年、多くの店舗がお酒を売れるようになりました。この規制緩和は段階的に広げられることもわかっており、その時期から設楽さんは廃業を考えだしたといいます。

「近隣の大手スーパーが酒類小売業免許を取得して酒類の販売を始めたのが大きかったです。競争が激しくなり、顧客が離れて売上が減少した。やはり価格では勝てませんから」と設楽さん。そのような中でも、近所への配達を行う等の経営努力をしてなんとか続けてきました。それでもやはりネットの力には勝てません。

「安くて、配達までしてくれる。そして買ったらおまけにポイントまでつくようなネットにはかないませんよ。即時配達を武器にしようとしましたが、資本力のある会社が即時配達をやっていますし、やったとしても私の体力が持ちません」と設楽さんは当時を振り返ります。

酒店の経営はどんどん厳しくなっていきました。手遅れになる前にと、設楽さんは廃業を決意します。そのような中、設楽酒店の立地条件を評価してくれる人たちが現れました。「テナントとして貸さないか」というオファーです。設楽さんにとっては渡りに船でした。いくつかの条件を比べて、一番よい条件を提示していただいた会社に貸すことにしました。

「朝から晩まで働いていたときよりも、店舗として貸している今のほうが、収入が多いなんて、なんとも皮肉な話ですね」と設楽さんは笑います。

 エマニャン

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円満廃業ドットコム 編集部

会社経営において、終わり方に迷いを持たれる経営者は数多くいらっしゃいます。廃業にまつわる「何をすれば良い」「本当に廃業すべきか分からない」といった様々な不安をクリアにし、これまで努力されてきた経営者が晴れやかなネクストキャリアに進めるように後押しします。

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