「イノベーション」という言葉をあちこちのメディアで目にするように、どの業界でも大きな変化が存在します。このイノベーションは時に、業界の外から来たプレイヤーたちが既存のプレイヤーを駆逐し、まったく新しい価値を提供して、業界地図を一気に塗り替えてきます。当記事では自動車業界のイノベーションを目の前にして、早めに廃業したエピソードを紹介します。
自動車メーカーの一次受けからの通達
自動車部品を主な生業とする二次下請けの会社を経営していた田中勝嗣さん(64歳、仮名)は、自動車のエンジン部品を作る金型の製造を主な収益源として会社を経営してきました。
創業者の息子であった田中さんは、若いころから機械工学に情熱を注ぎ、独自の技術で金型製造の分野で高い評判を得ていました。「品質の高さと正確さで信頼を勝ち取れる自信はありましたし、実際に複数の会社から依頼を受けていました」と田中さんは説明します。
しかし、時代は変わりつつありました。電気自動車の台頭と、自動運転技術の進展により、従来のエンジン用の金型や部品製造の需要が減少し始めたのです。
「エンジン部品製造の仕事が減少するのを感じたのは、ある大手自動車メーカーのサプライヤーとの出来事でした」と田中さんは振り返ります。
「取引先はとある自動車メーカーの系列サプライヤーだったのですが、そのメーカーは、伝統的な内燃機関から電気自動車への転換を発表しました。私たちの用意する金型の4割ほどが、そのメーカーのエンジン部品向けに特化していたのです。下請けとしては辛いところです」(田中さん)。
この変化の兆しは、ある年の秋に顕著になりました。田中さんはいつも通りにその取引先との定期的な打ち合わせに出席しましたが、そこで予期せぬ知らせを受け取りました。メーカー側が取引先に、今後数年以内にエンジン部品の注文量を大幅に削減する計画を明らかにしたとのこと。メーカーは電気自動車へのシフトを加速させており、その結果、伝統的なエンジン部品の需要が減少するという説明でした。
「下請けとはいえ、長年にわたってそのメーカーのエンジン技術の進化に貢献してきたという自負があっただけに、相当なショックでした」と田中さんは当時の心境を話してくれました。この打ち合わせの後、田中さんは他の自動車メーカーにも同様の動きがあることを確認し、業界全体の変化を痛感しました。
自動車業界の展示会で実際に見て痛感。廃業への意思を固める
エンジン部品の需要減少に気づいたもう出来事は、国際的な自動車展示会での出来事でした。「毎年この展示会を楽しみにしており、新しい技術や業界の動向を把握するために訪れていました。しかし、ある年の展示会での経験は、私にとって予想外のものとなりました」と田中さんはその衝撃を語ります。
その年、展示会の会場は電気自動車(EV)と自動運転技術に特化したブースで溢れていました。田中さんは従来の内燃機関車両よりもEVの方がはるかに多くの注目を集めていることに気がつきました。特に、新興の自動車メーカーのブースでは、高性能で環境に優しい最新のEVモデルが展示されており、来場者の関心を強く引いていました。
田中さんは、自動車産業が内燃機関から電気駆動へと大きく舵を切り始めていることを実感しました。「頭ではわかっていましたが、実際に目で見た時の衝撃はすごかったです」と田中さん。彼の会社が長年にわたって専門としてきたエンジン部品の金型製造に対する需要が、この業界のシフトによって急速に減少していくことは明らかでした。
実際に自分の目で見て衝撃を受けたというのがリアルだにゃん
「いま振り返ると、これらのエピソードは、会社の廃業への道のりを決定づける重要な瞬間だったと思います。自動車産業の変革が進行中であり、それによって自分の会社が直面する挑戦の大きさを理解しました。ただ、彼は会社の未来について、深く考え始めたのですが、すでに遅かったかもしれません」(田中さん)。時代の変化に適応するか、あるいは新しい道を模索するかの選択を迫るきっかけとなったことは間違いないようでした。
田中さんは変化に対応しようと、新しい技術の研究や、他の産業への進出を試みましたが、会社の規模や資金の制約から、容易ではなかったといいます。
「従業員たちは、長年にわたる私の努力と情熱に感謝はしてくれていたかもしれません。そうでないかもしれません。いずれにしても、従業員もまた、産業界の激変を目の当たりにして不安を感じていたようでした。若い技術者たちは、未来への可能性を求めて次第に他社へ移り始め、私はそのたびに心を痛めていました」と田中さんは当時の様子を振り返ります。
田中さんが下した決断は廃業。「いまならしっかりと従業員に退職金も渡せて、自分にも退職金替わりに資産を残せると考えました。売却も考えましたが、内燃機関に特化した事業にはなかなか買い手がつきませんでした」(田中さん)。
廃業の日、田中さんは工場を一周し、各機械に静かに別れを告げたそうです。「長年連れ添った相棒たちとの最後の時を、静かに優しく過ごせた気がします。自らの手で築き上げたものが終わることを悲しみつつも、変化する世界に対する敬意は持っているつもりです」(田中さん)。
その後田中さんは若い技術者たちを支援するコンサルタントとして、新たなキャリアを築き始めました。彼の経験と知識は、多くの若手にとって貴重なものとなり、一郎は再び活力を取り戻していくでしょう。
テクノロジーの進化はすごいにゃん。テクノロジーへのアンテナは常に張っていたいにゃん
業界変化への対応としての廃業
「あのときの早めの判断はよかったと思っています。業界の大きな流れは変えられません。無事に廃業できたのは、変化への対応を迅速にできたということだといまは思えています」と田中さんは振り返りました。
手塩にかけた会社をたたむのは勇気がいることです。しかし、傷口を広げる前に良い状態で円満廃業をすることができた田中さんの例は、業界の変化の荒波を受けている会社にとっては何らかの参考になるのではないでしょうか。