ケンタッキーフライドチキン(KFC)の創業者として知られるカーネル・サンダース(ハーランド・デイヴィッド・サンダース)は、いくつもの職を転々とし、数々に失敗を乗り越え、KFCを65歳で創業しています。彼の物語は、忍耐と決意、そして努力の結晶であり、成功がいかに思いがけないところからもたらされるかを示す興味深いストーリーです。
サンダースは1890年、インディアナ州ヘンリービルで生まれました。幼少期は貧困と苦難にあえぎ、家族を養うために幼い頃から働かなければならなかったそうです。それでもサンダースは成功しようと決意し、やがて農夫、路面電車の車掌、保険のセールスマン、その他さまざまな仕事に就きました。
ガソリンスタンドを廃業
その後、ガソリンスタンドの経営を始めるも、世界恐慌の影響を受けて会えなく廃業。それでも当時のサンダースの働きぶりを見た会社から、再度ガソリンスタンド経営のオファーをもらい、再チャレンジをします。
そこでサンダースは、ガソリンスタンドの横に小さなカフェスタンドのようなものを作り、そこで食事を提供するようになります。そのスタンド提供を始めたメニューの一つがフライドチキン。どこの家庭でも食べられていたものですが、彼のスパイス配合などを工夫して好評を得ていました。
2回目のスタンド経営からレストラン事業に
フライドチキンはすぐに人気を博し、サンダースはサンダースカフェという名のレストラン事業に一本化。地元ケンタッキーで成功しました。ところが、お店が全焼するという悲運に見舞われ、財産を失ってしまいます。
財を成したかと思ったところで、またやり直。それでもめげずに、サンダースはレストランを再建し、再びチャレンジをします。しかし、またもや困難が発生。国道沿いという立地の良さを活かしていたサンダースカフェでしたが、付近に高速道路が開通したことで、経営が悪化しました。人の流れが完全に変わってしまったのです。その結果、サンダースはまたもや廃業するしかありませんでした。
65歳からのチャレンジ
この時サンダースは65歳。オリジナルチキンのレシピと圧力釜以外、何も残らなかったそうです。しかし、そのオリジナルチキンのレシピこそが成功のカギでした。彼は知り合いといまでいうフランチャイズ契約を締結します。知り合いに調理方法を教え、代わりにチキン1羽につき5セントの特許権使用料を払ってもらうという仕組みです。
65歳といえばもう廃業・引退する人も多い年齢だにゃ。でもまだやれている人もいるにゃ
サンダースは自分の車に圧力釜とスパイスを積みこみ、あの有名な白いコスチュームで旅に出たといいます。行く先々で、フライドチキンを食べてもらい、気に入ってくれたらレシピを教え、フランチャイズ契約を結ぶという活動を始めました。
この活動は、しばらくは全然うまくいかなかったといいます。知らないおじいさんが飛び込みで営業に来ても成功率が低いのは想像に難くありません。うまくいき始めたのは、テイクアウト方式でバスケット販売したところ、行列ができてその評判が広がり始めたタイミングでした。
KFCはその後も成長を続け、世界最大級のファーストフードチェーンとなりました。現在では140カ国以上で事業を展開し、有名なフライドチキンは毎日何百万人もの人々に楽しまれています。