人生の軌跡としてのビジネス、特に中小企業を長年にわたり指揮してきた社長にとって、会社をたたんでの引退や廃業は、とても重要でデリケートな問題です。ビジネスは単に生計を立てる手段を超え、創業者の夢、情熱、そして生涯を通じた成果が凝縮されています。そのため、引き際は単に事業を終えること以上の意味を持ち、品格をもって行うべき重要な節目と考えている社長もいます。当記事では、創業社長が歩んだ、品格ある廃業の例を紹介します。
「自分が作った会社を他人の手には渡したくはない」
田中雅彦さん(70歳、仮名)は、若い頃から輝かしい実業家人生を歩んできた創業社長です。かつてはプライベートジェットを所有し、当時の映画スターとの交友、そして銀座での豪遊など、まさに成功の象徴とも言える生活を送ってきました。しかし、そんな田中さんも歳月の重みと共に自身の体力や能力の衰えを自覚し始め、経営してきた中小企業の未来について真剣に考えるようになったとのこと。彼が下した決断は、事業の継承ではなく、廃業という道でした。
「この会社は私が創業しました。私の人生そのものです。もう十分稼ぎました。事業承継という形でほかの人の手に渡るのが、なんとなく自分の中でいい気持がしなかったのです」と田中さんは、事業承継ではなく廃業を選んだ理由を説明します。
「もう一つの理由は、あまりにも私の信頼や私が持つノウハウに依存しすぎていたことですね。どうにも体系化するのがむつかしい。いや、体系化するのがおっくうに感じたというのが正直なところです」(田中さん)。
自分の会社を他人に渡すのに抵抗があると話す経営者は多いにゃん。それも一つの考え方だと思うにゃん
「いい時代」を経て着々と準備した田中さん
田中さんは、自らの事業を終えることを決意した後、そのプロセスを計画的に進め始めました。まず、会社で販売用の在庫として持っていた書籍やワイン、高級マンション兼社宅の処分を始めました。これらは彼の事業の象徴でもあり、その一つ一つを手放すことは、まさに一つの時代の終わりを意味していました。
こうやってバブル時代に手に入れた多くのものを手放し始めたのです。「バブルを謳歌したわけではありませんが、うまくあの時代の波に乗りつつも、バブルがはじける前に軌道修正できたのです。運もありました(笑)」(田中さん)。
また、田中さんは友人に貸していたお金や、残念ながら回収不能となった借金の処理にも着手しました。これらの行動を通じて、田中さんは自らの事業に対して最後の責任を果たそうとしていたように思えます。
廃業を見据えた、美しい貸借対照表
この動きが特に美しいと感じられたのは、貸借対照表にその痕跡が残っていることです。現預金、役員借入金、資本金のみが残る、非常にシンプルな状態へと変化していったのです。これは、田中さんが事業を終えるにあたって、清算のプロセスを丁寧に、そして慎重に進めた結果でした。
廃業という選択をした経営者が、どのようにして品格ある終わりを迎えるべきか、という強いメッセージを伝えてくれた気がするにゃん
廃業の過程で田中さんが最も重視したのは、関係者への感謝と責任の果たし方だったといいます。従業員に対しては新たな雇用機会への支援を行い、取引先や顧客にはこれまでの感謝の意を表しました。そして、事業の清算を進める中で、彼は自らの経験を次世代に伝えることも忘れませんでした。彼の事業から学んだ教訓は、後に多くの人々にとって貴重な知見となり得るからです。
「うちは廃業するわけだから、ノウハウは惜しみなく伝えるようにしました。いままで頑張ってくれた社員たちは他へ行って活躍してほしいですし」と田中さんはその理由を説明します。
田中さんの廃業は、ただ事業を終えるという以上の意味を持っていたのかもしれません。それは、彼の長年の経験と情熱が込められた事業に対する最後の責任の果たし方のように見えました。田中さんの品格ある引き際は、これから会社を清算する中小企業の経営者にとって、ふるまい方の一つの例を指示してくれているように見えます。